HOMEへ 旅の情報館へ
ネパールとはどんな国
国と民族 経済、教育、文化 生活

1.国と民族

1.1 ネパールについて

ヒマラヤトレッキングは、ネパールの人達が生活する山岳村落を結ぶ道をたどります。そこにはネパールの人達の普段の生活があります。「山の国」ネパールを楽しく歩いて、感動の思い出を持ち帰るには、ネパールの事を事前に少し知っておくことをお勧めします。

国旗の上部の月は平和、下部の太陽は光、赤色は国の色、青は海と空を表している。
正式国名は「ネパール(Nepal)
首都は「カトマンドゥ」
位置は北緯26度22分〜30度27分、東経80度15分から88度12分、日本からの直線距離が5,250kmあります。カトマンドゥは奄美大島と同じ緯度。
面積は「14万7,181平方km」、北海道の約2倍、日本の3分の1、東西885km、南北145〜241km
人口は「2,200万人」(推定)
政体は「民主主義」
宗教は「ヒンドゥ教」が国教。一方、穏やかに仏教とのバランスがとれている
国家予算は約16億ドル(1,840億円)
GDPは約64億ドル(国民一人当たり260ドル弱)


1.2 ネパールの地理と気候

 ネパールは、北は中国・チベットに、東西と南の3方をインドに囲まれています。

 北には、エベレストを含む8千m級のヒマラヤ山脈、南部には標高数10mのガンジス平原を有する。東西に900km弱、南北平均100km弱の国。北の山岳地帯、中間高原、南部タライ平原に区分できる。75郡と3つの市、58の町で構成されている。



 国は小さいが、高度では世界一を誇る。

 典型的なモンスーン気候で、春(3〜5月)、夏(6〜8月)、秋(9〜11月)、冬(12〜2月)。6〜9月の雨季、10月〜5月の乾季に分けられる。カトマンドゥは1,400mあるが雪は降らず、夏は蒸し暑いが年間を通して比較的過ごしやすい。




1.3 休日と時差

ネパールの休日は、カトマンドゥの官庁、銀行、学校、外国機関のみ金・土を休む週休2日です。しかし、その他大半の企業は土曜日のみ休日で金曜日は平日扱いとなっています。また、ポカラなどの地方都市では金曜日半日、土曜日休日となっています。こんな風に休日が変則なのは「インドと違う日にする為」のようです。公式の暦はインドと同じヴィクラム暦ですが、新年はインド暦の1ヶ月後で同じではないのです。時差に関しては、インドが日本と3時間30分なのに対して、インドとほぼ同経度なのに3時間15分と細かい設定になっています。歴史的背景から特にインドとの差別化を意識しているようです。

1.4 独立性

北はヒマラヤの8000mの高山に、南は熱帯のジャングルに守られたネパールは、イギリスによるインドの植民地化の時代にさえ難攻不落で、何処の国からも植民地化されない独立国家としての歴史を築いてきました。それでも、北のチベットを含む中国、南のインドという大国にはさまれ、翻弄され、そしてさまざまな影響を受けていることが、旅行者の目にも容易に分かると思います。

1.5 多民族、多言語、多宗教

民族の種類は30近くあります。グルン、タカリー、シェルパなど、きき覚えがある名前も多くあります。「民族」はネパール語では「ジャート」といいます。(カーストとの関連に注意)ネパールは多民族、多言語、多宗教の国で、言葉の種類は70近くあります。ネパール語の勢力は強く政府の手続き、教育、放送はネパール語で行われ、異言語間で意思の疎通が出来ない場合も共通語としてネパール語が用いられることが多いです。

ネパールの民族で有名なのは「ネワール族」でカトマンドゥ盆地に都市文化を築き、彼らはネワール語(チベット・ビルマ語族の言語)を話します。ネワールとは、昔カトマンドゥ盆地のみをさした呼称「ネパール」に由来するとされています。

カトマンドゥ、ポカラは勿論、トレッキングの道すがら宗教的なものに触れる機会がたくさんあります。村々や峠にはタルチョー(チベット仏教の祈りの旗)がはためき、チョルテン(仏塔)が立ち並んでいます。村の出入り口にはマニ車が設けられ通りすがりに、右手でまわしてゆきます(右肩が高貴な側とされています)。カトマンドゥでもポカラでも見所は寺院になります。約80%の国民がヒンドゥ教を信仰しています。また、約11%の国民が仏教を、約4%の国民がイスラム教を信仰しています。

1.6 グルカ

ネパールの山間部などの思いがけないところで、中年過ぎの男性から流暢な英語で話しかけられることがあります。その大半は「グルカ兵」としてイギリスやインド軍に勤務した経験をもつ人です。グルカとは、一般にネパール東部から中部の町を出身としたリンブー、ライ、マガル、グルン等の民族集団です。

貧困を背負った野心的な青年のにとって、危険は大きいにせよ雇用が安定し、賃金に加えて衣食住が保証され、貯金や送金が出来、長く務めれば年金もつくなど「傭兵」は十分に魅力的な職業の一つでした。第二次の大戦の終わりまで溯ること30年間、少なくとも50万人の青年が、大きな犠牲と引き換えにネパールから海外へと出ていったのです。

1.7 シェルパ

シェルパとは、もともと東北部サガルマータ州ソル・クンブ郡一帯の高地に住むチベット系の民族の名称です。この名称が世界中に有名になったのは、1920年代初頭のイギリスによるエベレスト登山に荷揚げポーターとして雇用されたのが始まりですが、1950年代8000m峰登頂における彼等の活躍によりその名が一躍世界に知られることとなりました。

現在は、むしろ高所ポーターより観光産業において、ロッジ、食堂、土産物屋、旅行代理店などの経営者として、観光客と様々な関わり合いをもって生活している人達が多くなっています。

1.8 チベット人

カトマンドゥのダウンタウン、アサンからタメル一帯にはチベットの雰囲気が濃厚に漂っています。チベット人は敬虔なチベット仏教の信者が多く、住む家にはチベット文字の経文を刷り込んだのぼり旗が多く見られます。

1.9 インド人

ネパールとインドの関係は大きいのです。チベットとは急峻なヒマラヤ山脈に隔てられ、個人レベルの交易を超えられませんでした。同じく、インド国境に横たわる平坦で肥沃なタライ平原(ガンジス平野)は、熱帯ジャングルで疫病や風土病が蔓延し、トラ、サイ、象、熊、ワニなどの猛獣もいて通行は困難を極め、一部タライ族など少数民族がほそぼそと生活するだけでした。今世紀に入りタライの開墾が進み、疫病も減らすことができ、世界の援助と結びついたネパールの国連加盟もそれを促進しました。国境を接するインドからの移住も進み、国境線ではネパールとインドが混交しています。外国との貿易や交通もインドを経由するしかないネパールは、政治も経済もインドの影響が強いのです。



戻る 次へ

 Copyright (C) 2007 FUJI INTERNATl0NAL TRAVEL SERVICE, LTD. All Rights Reserved.