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ヒマラヤトレッキングに詳しくなろう
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1.トレッキングとは

1.1 トレッキングの始まり

カラパタールから見たエベレストヒマラヤとは、サンスクリット語でヒマ・アラヤ「雪の住む処」という意味。ヒマラヤは東西2800km、8000mを超す座は14峰、そのうち8座がネパールにあります(数え方により違う)。ネパールは山の国です。車の走れる道路は少なく、移動の主力は足です。しかしどんな山奥にでもちゃんと生活はあり、他地域との交易も盛んに行われているから、おのずから通商路もあり、必要な設備もあります。

トレッカーはそうした山の幹線道、いわば国道をトレックするのです。日本の登山やハイキングとは異なります。途中の村々には宿泊施設も茶屋もあります。ネパールの人達の生活道路を歩かせていただくわけで、そこに住む人々の生活が見えてくるのも楽しみの一つです。

開国して間もないネパール政府が、外貨不足を解消するための観光誘致策として、ヒマラヤの山歩きをトレッキングとして宣伝しはじめたのは1960年代からです。ネパール政府は、登山とトレッキングを厳密に区別しています。雪線を超える6000m以上のピークを登頂することを登山。それ以下の山々を歩くことはトレッキングと区別しています。登山からは高額な入山料を、トレッカーから観光外貨をネパールに落としてくれることを期待して誘致に熱心です。


1.2 ヒマラヤ登山と観光

1953年イギリス登山隊のヒラリーとテンジンによるエベレスト登頂のニュースは世界を駆け巡りました。先んずる1950年フランス隊モーリス・エルゾーグがアンナプルナI峰で人類初の8000m峰登頂に成功しています。この時代の巨峰の初登頂は国家的事業であり、社会的関心も今日とは比べものにならない大きなものでした。

この舞台となったのが開国間もないネパールでした。しかし、ネパールが外国からの旅行者を受け入れるようになったといっても、1960年代半ばまではインド人を除く外国入国者は年間一万人足らずでしかなかったのです。そして、次第に世界に伝わってゆくネパールについてのイメージは、「神秘のヒマラヤ」、「秘境ネパール」とエキゾチックな「ヒマラヤの国」として固まっていったのです。また、物価の安さもあって1960年代から70年代半ばまで、カトマンドゥはヒッピーのセンターの様相を呈した時代もありました。

そして、カトマンドゥやポカラを中心として、ホテル、レストラン、土産物店、旅行代理店などが雨後の筍の様に誕生し、都市部の観光にとどまらず、山地部の村落にまで足を延ばすトレッキングという徒歩旅行が幅をきかすようになったのです。

トレッカーが集中するのは、カトマンドゥからナムチェバザールを経てサガルマーター(エベレスト)のベースキャンプに至る通称「エベレスト街道」、カトマンドゥ北方のランタン、ヘランブーの一帯、又はポカラからアンナプルナダウラギリ山群の間を流れるカリ・ガンダキ流域にかけての一帯など幾つかの地域に人気があります。それ以外にもたくさんのコースがあります。

トレッキングルート上の大きな村には、警察や国立公園のチェックポストがあり、許可証の提示がなければ先には進めない仕組みになっています。2002年7月現在、マナスル、ムスタン、アッパードルポ等の12箇所の特殊エリアはトレッキング・パーミットが必要で、フムラ、ダルチュラ、ムスタンはさらに政府連絡官同行の許可書が必要です。国立公園には入域証のみが必要です。特殊エリアの詳細はトレッキングニュースに掲載しているのでご参照ください。

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